第31回 日本語の中の中国語その14――目に一丁なし(1)

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 「目に一丁字なし」は、「全く文字が読めない。無学である。」(『日本国語大辞典』)という意味です。この言葉の由来については『大漢和辞典』に詳しい説明があるので、まずはこれを紹介します。『大漢和辞典』の「不識一丁字」項目には、はじめに「まるきり文字をしらぬこと」と語釈があり、つづいて「丁は、个の字の篆書から誤つたもの」と「丁」の字が使われた経緯が記され、最後にその根拠となる文献をいくつか引いています。この文献の中から『正字通』の引用を見てみましょう。

丁,續世說,一丁作一个,因篆形相似,傳寫譌作丁。
(丁、『続世説』では「一丁」を「一个」に作る。篆書と形が似ているので丁と書き間違えたものが伝わった。)

つまり、本来は「不識一个字(文字を一つも知らない)」という言葉であったのが、書き間違いによって「不識一丁字」になったというのです。『大漢和辞典』の説明はこの『正字通』に依拠したものでしょう。確認したところ、『旧唐書』に「今天下無事汝輩挽得兩石力弓不如識一丁字」とあるのが、『続世説』では「今天下太平汝曹能挽兩石弓不若識一个字」となっています。ただ、その他の字句が完全に一致している訳ではないので、写し間違えたとまでは言いにくいとも思います。また、『続世説』以外にも清代の『連城璧』、『二十年目睹之怪現状』で「不識一个字」が使われているので「不識一个字」が「不識一丁字」に取って代わられたのではなく、両者は併存していたようです。『連城璧』、『二十年目睹之怪現状』は白話で書かれた作品なので、口語では「不識一个字」がずっと使われていたのかもしれません。
 『大漢和辞典』はこの外に『野客叢談』も引いています。こちらでは、「个」の書き間違いとする説を紹介した後で、本の著者による別の見方が示されています。
  

仆又觀《蜀志》、《南史》皆有「所識不過十字」之語,《史通》謂「王平所識僅通十字」,恐是十字亦未可知,十與丁字又相似,其文益有據也。
(筆者がこのほかに『蜀志』、『南史』を見ると、そのどちらにも「所識不過十字」という言葉がある。さらに『史通』に「王平所識僅通十字」とあるが、これは(王平が)十字すらも知らないという意味であろう。十と丁の文字が似ていることも、この文により裏付けあるものにしている。) 

 つまり、「所識不過十字」こそが「不識一丁字」の由来だというのです。ここで、『増修埤雅広要』を見ると次のような箇所がありました。

  
識一丁字 張弘靖曰挽兩石弓不如識一丁字 ……(中略)……           
止識十字 蜀王平爲鎮北大將軍所識不過十字而口授作書

 これは成語を紹介したもので、初めの四文字が成語、右に続く文はその用例です。これを見る限り、『増修埤雅広要』の著者は「識一丁字」と「止識十字」が別の言葉と認識していたようです。もしならば、「止識十字」は由来と言えないでしょう。もちろん「止識十字」から「識一丁字」が生まれ、後に両者が個別の言葉と認識されていた可能性も考えられるので、完全に両者が別の言葉と断言はできません。
 このように「丁」の由来には「个」の書き間違えとする説、「所識不過十字」から来たとする説の二説があることになります。現段階では、どちらが正しい由来なのか、はたまた別の理由があるのか、まだはっきりしません。それにしても、「丁」たった一字の由来を巡って数百年にわたり多くの考証を重ねて議論し続けるとは、中国人の文字に対するこだわりがここに表れているように思います。
 今回は込み入った説明ばかりになったので、言葉の由来ではないのですが、「不識一丁字」と関わるエピソードをここで紹介したいと思います。
 清代の『通俗編』という本は、様々な俗語の由来が考証したものです。この本に「不識一丁」項目があり、上で見た二説の外に、『留青日札』に記された次のエピソードを紹介しています。

天水姜平子仕苻堅,堅宴群臣賦詩。平子詩有“丁”字直而不屈,堅問其故,曰:“曲下者不正之物,未足以獻也。”堅悅,擢上第。夫“丁”字不屈,乃古“下”字矣。蓋堅麤人,正所謂“丁字不識”者爾。
天水の姜平子は符堅(南北朝時代前秦の皇帝、一時、中国北方を支配した)に仕えた。符堅が宴会を開くと家臣たちは詩を作った。平子の詩には「丁」の字が使われていたが、真っ直ぐでまがって(二画目をはねて)いなかった。符堅がその理由をたずねると、平子は答えた「『曲がった』は『正しくない』ことを意味するもので、献上する価値はありません。」符堅は喜んで一番としました。そもそも「丁」の字が曲がらなければ、古い「下」の字になる(「下」は古くは「丅」と書いた)。思うに符堅はおおざっぱな人で、まさに「丁字不識」なだけである。

 「丁」の字についての強引な説明を聞いて喜ぶ符堅の無知ぶりが描かれています。もっとも符堅は、幼い頃、学問がしたいから師をつけてくれと祖父に頼んだような人物ですから、「不識一丁字」ではなかったでしょう。これは符堅が北方異民族出身であることから、文字を知るまいと考えた漢人の思い込みから生まれたのかもしれません。
 ところで、「目に一丁字なし」はいつ頃から日本で使われ出したのでしょうか。『日本国語大辞典』には、室町時代初頭に成立した『空華集』に「老盧不識一丁字…」とあることが記されています。「不識一丁字」は、中国では宋代になり盛んに用いられるようになったようで、先ほど引いた『旧唐書』のほかに『資治通鑑』などでも使われています。「不識一丁字」はこのような宋の文献と共に日本に入ってきたのでしょう。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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