第34回 元首たちの古典教養その18――世上无难事,只要肯登攀

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 古典というと近代以前に記された書物と思いがちですが、決してそうとは限りません。近代中国成立以後の人物が書いた詩文であっても、広く中国人に知られ、時代を超える普遍的価値を持つものであれば、それは新たな古典になります。元首たちが引用する古典は、近代以前のものが多いのですが、魯迅、陳独秀、厳復、李大釗、艾青など近代の文筆家たちの言葉も少なくありません。では、近代以降の人物で最も多く引かれるのは誰かと問われると、それは建国の父毛沢東でしょう。毛沢東の言葉というと『毛沢東語録』が思い出されますが、引用されるのは『語録』の言葉よりも、詩、詞が多いように感じます。毛沢東は詩人として優れ、革命家らしい豪放な詩、詞を数多く残しています。
 では、実際に毛沢東の詞が引かれた例を見てみましょう。2006年、当時首相であった温家宝はケープタウンで演説をしました。そして、アフリカ諸国と中国とのこれまでの関わりをふり返り、各方面の交流をますます盛んにしていこうと訴え、その後、両国の商業会の人々を激励して以下のように言いました。

 世上无难事,只要肯登攀。加强中南、中非合作就如同爬山。希望大家只争朝夕,奋勇登攀。
 (「世の中に困難なことはない。ただ、登ろうとさえすればよいのだ」中国と南アフリカ、中国とアフリカの協力関係を強化することは山登りのようなものです。みなさん、時間を惜しむように努力し、勇気を出して登ってください。)

 温家宝が引用した「世上无难事,只要肯登攀」は、毛沢東の詞「水調歌頭 重上井岡山」に由来しています。この詞は坂本龍一さんの代表曲「千本のナイフ」で使われたことでも知られています。かなり長い詞ですが読んでみましょう。

久有凌云志, 長い間 大志を抱いていた
重上井冈, いま再び井岡山を登る
千里来寻故地, はるばる思い出の地をたずねると
旧貌变新颜。 すっかり様変わりしていた
到处莺歌燕舞, 鶯が鳴き 燕が飛び交う
更有潺潺流水, 川はさらさらと流れ
高路入云端。 道は雲まで続く
过了黄洋界, 黄洋界を通り過ぎても
险处不须看。 要害の地に行かなくてもよい
风雷动, 暴風や雷に対して
旌旗奋, 紅旗を揮うのが
是人寰。 世の常だ
三十八年过去, 三十八年の年月が過ぎたが
弹指一挥间。 一瞬の出来事であった
可上九天揽月, その間に天に昇って月を取り
可下五洋捉鳖, 海に潜って鼈を捕まえ
谈笑凯歌还。 談笑の内に凱歌を奏した
世上无难事, 世の中に難しいことはない
只要肯登攀。 ただ登ろうとさえすればよいのだ

 大躍進の失敗により失脚した毛沢東は、かつて革命闘争をした井崗山をたずね、この詞を詠みました。そして、過去の革命の地でこれまでの戦いをふり返っています。「世上无难事,只要肯登攀」は、世の中に乗り越えられない困難はない、辛い革命闘争も前に進み続ければなし得るのだという意味でしょう。もっとも、この直後に毛沢東は文化大革命を起こして復権を企てるので、権力闘争もなせばなるという意味で詠んでいるようにも見えますが……。不在話下。
毛沢東は、非常な読書家で、政務の合間を縫っては本を読み、古今の書物に精通していました。そして、古典の言葉にアレンジを加えて新たな言葉を作り出すことを得意としていました。「世上无难事,只要肯登攀」も「世上无难事,只怕有人心(世の中に難しいことはない、志さえあればいいのだ)」という古い俗語に手を加えたものだったのです。
 毛沢東の言う「世上无难事,只要肯登攀」は革命闘争への気構えを詠んだものでしたが、今では「世のなかにやってできないことはない」、「なせばなる」という意味で使われています。温家宝は「世上无难事,只要肯登攀」をアフリカ諸国と中国の交流に何か障害があったとしても、前進しようとさえすれば、乗り越えられないことはない、という思いをこの言葉にこめたのでしょう。

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西川芳樹関西大学非常勤講師

投稿者プロフィール

大阪府岸和田市出身。
関西大学文学研究科総合人文学専攻中国文学専修博士課程後期課程所定単位修得退学。
関西大学非常勤講師。
中国古典文学が専門。

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