中国語上達の“秘訣”

1.実践編:中国語のボックスを作る

 入門レベルから上級レベルまでどんな学習者にも有用な、上達のための学習法をご紹介します。

中国語のボックス
 一体、「言葉を話せる」というのはどういうことでしょうか。私たちは普通、母語である日本語を何の不自由を感じることもなく話していますが、こういう能力はどこから来たのでしょう?言葉を話せる私たちの頭脳は一体どうなっているのでしょう?頭脳の機能を分析する大脳生理学のことは私にはよく分かりませんが、母語を話せるというのは、簡単に言うと、私たちの頭脳の中に日本語のボックスがあるからと考えればいいわけです。ということは、私たちが中国語を話せるようになるには、自分の頭脳の中に中国語のボックスを作ればいいということになります。

ボックスを作るには
 ではどうすれば、頭の中に中国語のボックスができるのでしょうか。それは日本語を獲得したときと同じ過程を繰り返せばいいわけです。自分が日本語を獲得してきた過去を振り返ってみてください。恐らく意識しないまま、大人のマネをしてきたということを思い出すことでしょう。つまり言葉獲得の本質は、徹底した「真似(まね)」です。

「点検」の重要性
 ただ、外国語習得の場合、ちょっと注意をしていただきたいことがあります。特に美しい中国語を獲得したいと希望されるのであれば、単に「真似」だけで終わってはいけないということ。そこに「点検」という過程を入れないと、「真似」の意味も半減してしまうということです。この「点検」という過程が、案外、多くの学習者に見落とされているのです。

自分の声との戦い
 では「点検」とはどういうことでしょう。それは、ご自身の声を録音し、真似している模範朗読にどれほど近い発音になっているか、どれほどかけ離れた音になっているかの「点検」です。初めてご自分の声を聞かれるとよく分かるのですが、10人おれば、恐らく10人の人が、「ええっ!!これが私(オレ)の声?!ウソッ!!」と思われるでしょう。
 それくらい自分の声は「不細工」で「醜い」のです。さあ、「不細工」で「醜い」自分の声を聞いてどうするか?「ああ、ショック!もう中国語はやめた!」と思うか、それとも「チクショウ、これくらいで負けてたまるか、もっと練習してもっと上手になったる!」と思うかの違いです。この違いこそ、中国語が上達するかしないかの分岐点となると言っても過言ではないでしょう。これは私が実際に経験したことですが、私の学生にも「自分の声を録音してみなさい」と教えました。それを実践した学生の中に、「あまりにも自分の声が悪く、発音が不正確だったので、やる気がなくなった」と言って投げ出した学生もいたくらいです。それくらい、初めて聞く自分の声はショックなものです。

繰り返しの工程
 もし、あなたが前者の部類に入ってしまえば、この話はここでおしまい。もし後者の部類に入れば、そこで気分を入れ替えて、また「真似」をしてください。つまり、

模範朗読を聞く ― それを真似る ― 真似できたと思ったら自分の声を録音する ― 自分の声を点検する ― ダメだと思ったらまた模範朗読を聞く ― また真似るという工程、聞く ― 真似 ― 録音 ― 点検 ― 聞く ― 真似 ― 録音 ― 点検 ― 聞く……

を繰り返すのです。ではどこまでくり返せばいいのか?それは、「よし、これでできた!」と思うか、「私はもうダメ!これ以上はできないわ!」「オレはもうアカン!これ以上は無理や!」と思うかまで繰り返すのです。それくらいとことん繰り返してください。それくらい繰り返すと、「暗記しよう!」と思わなくても、自分が真似をした文章は暗記しています。しかも、徹底的に真似していますから、自分でも驚くくらい美しい発音になっています。まあ、「騙された」と思ってやってみてください。

レパートリーの拡大
 こうして一つの文章を完成したとしましょう。次は、同じような工程を別の文章でやってみるのです。1篇、2篇、3篇と文章のレパートリーを増やしていく。1篇、1篇覚えていくたびに、自分の口をついて出てくる話が増えていき、自分が確実に上達しているのが実感できますし、上手に真似ができればできるほど、自分の美しい中国語に惚れなおすでしょうし、何よりも「もっとやろう!」というやる気を起こしてくれます。そして自分の頭の中の「中国語のボックス」が徐々に大きくなっていくことを実感するでしょう。こういう工程を、各レベル― 初級、中級、上級 ―で、1年ずつ続けてみてください。
 美しい発音を獲得するという効果はそれだけにとどまりません。正しい発音を身に付けるというのは、同時に聞き取りの上達につながります。自分が正しい発音ができるからこそ、聞く能力も向上するのです。それは耳の訓練にもつながっていきます。

語彙力の強化
 上に述べたような、「聞く、真似、録音、点検」という工程だけでは語彙数が限られてきます。語彙力をもっと強化するには、さらに徹底した耳の訓練をするのが、もう一つの有力な方法です。例えば、中国語ジャーナル(アルク刊)で取り上げられている「本月消息」を”听写“(聞いて書き取る)するのです。こうした文章は上級レベルですから、上級レベルの方は挑戦してください。文字を見ないで”听写“するわけです。初級、中級の方はいきなり”听写“するのは難しいでしょうから、はじめは文字を見ながらでも構いません。何回か繰り返し聞いていくうちに、文字を見ないで聞き取れるようになるまで練習することです。文字を見ずに、音声で意味が分かれば、あなたの中に中国語の語彙が形成されている証しとなります。

2.教材編:聞いて、マネよう

 あなたの頭の中に、「中国語のボックス」を作る手始めとして、聞く、真似るための教材を準備しました。初級は《聪明的外科医生》、中級は《立论》、上級は《猴王和西瓜》です。

初級用
 初級段階では、朗読ということ自体やや難しい挑戦ですが、この《聪明的外科医生》は使っている語彙も易しく、それでいてなかなかウイットに富み、楽しめる名文といえるでしょう。それゆえ、過去にも本誌で取り上げられたことがありますが、初級としてうってつけだと思いますので、あえて、取り上げてみました。”兵士“と”外科医生“の声色を換えてみることも楽しんでください。

聪明的外科医生

牧野

  从前有一个兵士被一支箭射中了,他跑去找一个外科医生。外科医生一看就说:“容易,容易!”说了从药包里拿出一把剪刀,把露在外面的箭杆子剪掉,就要走了。
  兵士很奇怪,连忙问他:“你怎么就要走了?箭头儿还在里面呢!”
  外科医生回过头来摆摆手说:“外科的事情我已经做完了,剩下来的是内科的事情了。”

日本語訳
 昔、ある兵士が射られた矢に当たったので、外料医のところへ飛んで行った。外科医はひと目見るや、すぐ「なんでもない!たやすいこと!」と言うと、すぐにかばんからはさみを取り出し、外に出ている矢柄を切り落とすと、そのまま行こうとするではありませんか。
 兵士は変に思って、慌てて「どうしてこのまま行くんですか。矢尻はまだ中にあるじゃないですか!」と聞いた。
 外科医は振り向くと、手を振りながら言った。「外科の仕事はもう終わったさ、残りは内科の仕臨だよ」。

中級用
 《立论》の作者は、中国近代文学の旗手・魯迅。魯迅らしく、ちょっとアイロニーというサビをきかせた、聞く者をハッとさせる文章。最後のごまかしの笑いが何ともいえず、味があります。”我”と”老师”という年齢差の違いをどう表現すればうまくいくか、そこらあたりを十分に楽しんでほしいと思います。

立论

鲁迅

  我梦见自己正在小学校的讲堂上预备作文,向老师请教立论的方法。
  “难!”老师从眼镜圈外斜射出眼光来,看着我,说。“我告诉你一件事————
  “一家人家生了一个男孩儿,合家高兴透顶了。满月的时候,抱出来给客人看,大概自然是想得一点好兆头。
  “一个说:‘这孩子将来要发财的。’他于是得到一番感谢。
  “一个说:‘这孩子将来要做官儿的。’他于是收回几句恭维。
  “一个说:‘这孩子将来是要死的。’他于是得到一顿大家合力的痛打。
  “说要死的必然,说富贵的许谎。但说谎的得好报,说必然的遭打。你……”
  “我愿意既不谎人,也不遭打。那么,老师,我得怎么说呢?”
  “那么你得说:‘啊呀!这孩子啊!您瞧!多么……。哎唷!哈哈!Hehe!He,hehehehe!’”

日本語訳
 僕は、自分が小学校の教室で作文を書こうとして、先生に立論の方法を尋ねようとしているところを夢に見た。
 「難しいなあ!」、先生は眼鏡のふちからはすかいに視線を走らせ、僕を見ながら言った。「こういうことがある……
 「ある家に男の子が生まれて、家中この上なく喜んだ。満1カ月のお祝いのときに、抱いて客に見せた。もちろん縁起をかつごうと思ってのことのだろう。
 一人が言った。『この子は将来お金もうけをするでしょうよ』。その人はそこで感謝された。
 一人が言った。『この子は将来お役人になるでしょうよ』。その人はそこでおべっかを言い返された。
 一人が言った。『この子は将来死ぬでしょうよ』。その人はそこでみんなよってたかって袋だたきに遭った。
 「死ぬでしょうよと言ったのは必ずそうなることであり、富貴になると言ったのは、うそかもしれない。だが、うそを言った者はよい報いを得たのに、必ずそうなると言った者は殴られた。で、君は……」
 「僕は人にうそを言いたくないし、また殴られたくもありません。それには先生、僕はどう言えばいいのでしょうか」
 「そうか、じゃ君はこう言えばよい。『まあ!この子はね!ごらんなさいよ!なんとまあ……!おやおや!ハッ、ハッ、ハッ!Hehe!He,hehehehe!』」。

上級用
これは、私がこれまで聞いた中国語の朗読の中で最高傑作だと思う作品。これを初めて聞いたのは、大学2年の時、サークルの合宿で1年上の先輩が全文を暗唱してくれた際のこと。一度聞いて面白くて面白くて、「絶対、これを暗唱してやろう」と決意したことを、今でも覚えています。人間社会の風刺、オチに次ぐオチが実に面白い。”猴王”、”小麻猴儿”、”短尾巴猴儿”、”老猴儿”それぞれ個性豊かです。その表現の違いをくんで朗読することを楽しんでほしいと思います。

猴子和西瓜

  猴王找到个大西瓜,可是他不知道这吃西瓜的方法,有心去请教请教别人吧,他觉得不好意思。他以为呀,请教别人显得自己多低下。于是他想了个妙计,把所有的猴儿都召集到一起呀,想从大家的嘴里头了解出吃西瓜的方法。
  等猴儿们到齐之后,猴王说:“今夭我找到个大西瓜,请你们诸位来呢,饱餐一顿.啊。至于这个吃西瓜的方法嘛,那那那我就是知道的啰,嘿,就要看你们说得对不对。谁要是说对了这吃西瓜的方法,我就多给他一份儿。不过你们也知道我的脾气,我是最讨厌那些不懂装懂的人!”
  小麻猴儿啊,第一个抓耳挠腮地说:“我知道,我知道,吃西瓜是吃瓤儿!”
  这猴王一听,刚要想同意,短尾巴猴儿紧跟着说了:“啊,不,不,不,不,我不同意他说的,我知道清清楚楚的。上回我跟我爸爸到我姑妈家去,我姑妈请我们吃甜瓜,我姑妈告诉我说呀:‘吃甜瓜嘛,要吃皮儿。’请注意,讲过吃皮儿。那么您想呢,甜瓜是瓜,西瓜也是瓜,它们两个既然都是瓜,那么西瓜,当然吃皮儿!”
  这猴王一听,短尾巴猴儿说得也有道理。可是他们两个到底是谁对呢?
  这个时候儿,所有的眼光不约而同地都集中到一个老猴儿的身上。老猴儿一看,“欸,出头露面的机会到了。”于是他嗽了嗓子,说道:
  “唉,唉,西瓜嘛,当然吃皮儿。嗯,我呀,从小就吃西瓜,那而且是一直地吃皮儿。哪,哪,哪,我之所以老也不死啊,就是因为吃西瓜皮儿的缘故啊!”
  这猴王一听,老猴儿也说吃皮儿!嗯,他以为呀,真正的答案已经找到了,于是他向前走了一步,说道:“对!你们大家说得都对!就是小麻猴儿说错了。他没吃过西瓜,硬说吃西瓜是吃瓤儿!好,今天叫他一个人吃瓤儿,咱们大家吃皮儿!”
  说着呢,把西瓜打开了。瓤儿都给小麻猴儿吃了,大家呢,是共分西瓜皮子。
  其中一个猴儿啊,吃了两口觉得不是味儿,捅捅旁边儿的猴儿说:
  “嗯,这个西瓜怎么这么不好吃呀?”
  “欸,老弟!西瓜嘛,就是这个味儿!”

日本語訳

 猿の王様が大きな西瓜を見つけたのですが、西瓜の食べ方を知りません。かりに人さまに食べ方を教えてもらうとなると、どうも恰好悪いと思いました。人から教えてもらうのは、自分がとても低レベルなものだと思えたからです。そこで妙案を思いつき、すべてのお猿を集合させ、みんなの口から西瓜の食べ方を理解しようと考えました。
 お猿が勢ぞろいしたところで、猿の王様、「今日、わしは大きな西瓜を見つけたので、お前さんたちに腹いっぱいご馳走してやろうと思うておる。ところでだ、西瓜の食べ方だがな、ま、そ、そ、そりゃわしは知っておるがな、お前さんたちが正しく言い当てられるかどうか試してやろうと思うてな。誰かこの丙瓜の食べ方を当てたら、わしは当てた者に西瓜を多めにやろうと思うておる。だがな、お前さんたちもわしの気性をよく知っているだろうが、わしはな、知らぬのに知ったかぶりをするやつが、一番嫌いじゃ!」と言いました。
 最初に、アバタの子猿が手で耳や頬をかきつつ書いますに「ぼく知ってる、ぼく知ってる、西瓜はね、中身を食べるんだよ!」。
 猿の王様、思わず同意しようとしたところに、尾短猿が間髪を容れず、「あ、違う、違う、違う、そりゃ違う、僕はその意見には反対だ。僕はちゃ一んと知っているのさ。この前父ちゃんと叔母さんちへ行ったんだけどね、叔母さんはまくわ瓜をご馳走してくれたんだ。叔母さんはね、『まくわ瓜は皮を食べるのだよ。』と書ったんだ。注意してね、皮を食べると言ったんだよ。考えてもごらんよ、まくわ瓜は瓜、西瓜も瓜、両方とも瓜なんだからさ、そんなら西瓜も当然皮を食べるんだよ!」。
 猿の王様それを聞き、尾短猿が言うことも筋が通っとる。だがな、二人のうちいったいどちらが正しいのじゃろ?
 さあてそのとき、眼という眼が、期せずして年寄り猿に集まりました。年寄り猿はそれを見ますと、「えへ、わしの出番到来じゃわい」。そこで、一つ二つ咳払いをしまして、「エヘン、オホン、西瓜かね、そりゃむろん皮を食うのじゃよ。ン、わしはなあ、小さいときから西瓜を食ってきておるし、しかもずっと皮を食ってきた。な、な、な、わしがこんなに年老いても死なんのわな、何を隠そう、西瓜の皮を食ってきたからじゃよ!
 猿の王様、年寄り猿までが皮を食べると言ったのを聞くと、よし、本当の答えはもう分かったと思い込み、そこで一歩前に出ると、「そうだ、みんなの言うのが正しくて、アバタの子猿だけが間違っとる!やつは西瓜を食べたこともないくせに、あくまで西瓜は中身を食べるのだと言い張った。よし、今日はやつに中身を全部くれてやる、わしらは皮を食べよう!」。
 と言いながら西瓜を切りました。中身は全部アバタの子猿に食べさせ、みんなは、西瓜の皮を等分しました。中の一匹の猿が二口、三口食べたものの、どうもまずいので、となりの猿をつっつきながら、「なあ、この西瓜、なんでこんなにマズイんや?」と言ったところ、そのお猿、「なに言うとる、あんさん、西瓜っちゅうのはこういう味やんか!」と言ったとさ。

教材編まとめ
 人が外界のものを認識するのに、五感というものがあります。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚です。このうち外国語習得に必要なものは視覚と聴覚です。その内でも私は聴覚が一番大事だと思います。
 「聴覚映像」という言葉自体、いささか妙な表現ですが、意味はお分かりになると思います。私たちが本を読み、文字を見て獲得する映像を「視覚映像」とすれば、私たちが耳で聞いて獲得できるそれを「聴覚映像」だと理解してください。
 自分の頭の中に中国語ボックスを作るには、「視覚映像」と「聴覚映像」のどちらも必要ですが、両者のどちらがより重要かといえば、やはり「聴覚映像」であろうと思います。早い話がコマーシャルを思い出してください。テレビのコマーシャルは、1日に同じ言葉を何度も何度も繰り返しています。ですから、私たちが「覚えよう」と意識しなくても、自然と「身に付いている」ということは、誰もが経験しているのではないでしょうか。実は、中国語上達のコツは、いつの間にか「身に付いている」コマーシャルにヒントがあるのです。あのしつこいまでの繰り返し、1日に何回、何十回、何百回と繰り返されるコマーシャル、あれだけ繰り返されると、自然に覚えてしまうのですね。中国語の上達はまさにコマーシャル獲得法と同じなのです。
 しかも「視覚映像」が簡単に自分の脳から消えてしまうのに対し、「聴覚映像」はなかなか消えません。一つの題材を何度も聞いていると、その音が耳にこびりつくのです。「耳にたこができる」という慣用句は、まさに言い得て妙という表現です。ただ、この慣用句は、どちらかというと「もううんざりする」という意味で使われますが、中国語を習得する場合、この「耳にたこができる」方がありがたいわけですね。
 「視覚映像」を利用した暗唱は、すぐ忘れてしまいますが、「聴覚映像」を利用した暗唱は、何年経っても、何十年経っても忘れません。「騙された」と思って、ぜひ、実践してみてください。

3.上達するには:内なる“普通话”体系の確立

内なる“普通话”
 聞く ― 真似 ― 録音 ― 点検 ― 聞く― 真似 ―……という工程の繰り返しにせよ、「本月消息」の”听写“にせよ、その目的はただ一つ。自分の中に”普通话“の体系を作ること、いわば「内なる”普通话”」を構築することです。むろんそれには音韻体系、語彙体系、文法体系などが含まれますが、その中でやはり音韻体系が基礎をなします。なぜでしょう?

ブロークンな中国語
 もしあなたが中国へ行かれた経験があるのなら、すぐにピンとこられるでしょうが、私たちが接する中国人が話す中国語は、私たちが接する常日頃学習段階で接する「模範朗読」的中国語でないことが多いのです。「そり舌音」がない人は当たり前、そんなの序の口、というくらい面食らう中国語なのです。これは私が経験したことですが、学生のころ―60年代一国交もない中国でしたから、華僑以外、中国人と接する機会がありません。大学が神戸にありましたから、その土地柄を利用して神戸港へ行き、中国から来ている船の船員と話をするという方法がありました。先生に引率されて、私も何回か中国船を訪問しました。あるとき、船長が歓迎の挨拶をしてくれたのですが、”三年级“、”四年级“を”sānniángjí”、”sìniángjí”と発音されたときは、もう吃驚仰天。「今まで習ってきた中国語って何だったのだろう?こんなことでいいのか?」というショックを受けました。と同時に、「そうか、こういうのにも対応できなければ、まともに話ができないのだな」という「悟り」(?)を得たというわけです。

ブロークンが当たり前
 こういうブロークンな中国語が当たり前の中国語で、”中央人民广播电台“の”播音员“が話す中国語、あるいは市販の教科書に附されているCDに吹き込まれている中国語、こうした訓練され、洗練された”普通话“を話せる中国人は、実はごく少数なのです。例えば湖南省出身者であれば/l/、/n/は区別できませんから、平気で”湖南省“を/Hulanseng/と発音します。でも、だからといって何も慌てることはありません。こちらはこちらで対策を講ずればいいわけです。そこで大事なのが「内なる”普通话“」です。

ブロークンから“普通话”への置換
 自分の中に”普通话“の音韻体系ができていれば、ブロークンな中国語に接した場合、「ああ、この人は、”普通话“のこの音をこう発音しているんだ」と分かります。先の船長を例に挙げれば、この船長は/-ian/を/-iang/と発音しているわけですし、湖南省出身の人なら/l/と/n/が区別できていないなと分かります。となれば、こちらもそういう心構えをすればいいわけです。話している自分の中で置換していけばいいわけですから。こういうことは、ものの10分も話してみると分かってくるものです。
 ただし、この方法が効力を発揮するのは、あくまでも「ブロークンな中国語(普通话)」であって、先方が、呉語であるとか閩語であるとか、全くの方言を話す人であれば、通用しません。そのような方言は、やはりゼロから学ばないと、使いものにならないからです。

相手を盗め
 それから、会話が上手になる一つの方法は、「相手を盗め」ということ。中国へ行ったとしても、あるいは日本在住の中国人と話をする場合でも、話す相手は、自分たちからしますと、すべて”老师“ですから、常に範とすればいいわけです。つまり先方がどういう表現をしているかということを、常に「盗む」のです。中国人と話しているとき、必ず「そうか、こういうときは、こういうふうに言えばいいのか」という表現があるものです。これほど心強い先生はいないというくらい、自分ができなかった表現をしてくれるものです。だから、中国人と話す場合は、常に先方の表現を観察し、その場で応用する、ということを心がけてほしいと思います。

※この記事は『中国語ジャーナル』(アルク)2011年4月号 p.16~23に掲載したものを転載したものです。なお出版社の担当者に確認を取った上で執筆者の権限で転載しているものです。無断転載はご遠慮ください。

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佐藤 晴彦

佐藤 晴彦神戸市外国語大学名誉教授

投稿者プロフィール

大阪府生まれ。1964年神戸外大中国学科に入学、坂本一郎先生から中国語の手ほどきを受け、その魅力に取りつかれる。68年修士課程に進学、太田辰夫先生に師事、中国語歴史文法に興味を惹かれる。師匠が常に体系を構築するという学問の王道を歩まれたのに対し、『三言』各巻の成立時期や『水滸傳』、『金瓶梅詞話』など文学作品の成立時期を解明したいという衝動に駆られ、いつしか王道からそれ、語彙、文法、文字といった角度からそうした問題を追及する道を歩んできた。2013年3月、神戸外大を退職。現在は関西大学大学院で非常勤講師として週2コマの授業を担当している。

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